英米文化学会第150回例会


◆ 英米文化学会 第150回例会のお知らせ
                (例会担当理事: 河内裕二)

日時:平成28年6月11日(土)午後3時00分〜6時00分
   午後2時30分受付開始
場所:日本大学文理学部 3号館4階 3404教室
  (京王線 下高井戸あるいは桜上水下車、徒歩8分)
     ※アクセスなどは日本大学の公式サイトをご参照ください。

懇親会:会場:カフェテリア チェリー
時間:午後6時〜8時 懇親会のみの参加も歓迎いたします。
会費:3,000円



開会挨拶
英米文化学会会長 曽村充利 (法政大学)
(3:00−)

研究発表
1. アメリカ南部から北部へと移動する黒人における「場所の感覚」
                        (3:10−3:50)
    発表 田中 都 (城西国際大学大学院)
    司会 大橋 稔 (城西大学)

2. 明治期におけるディケンズ作品翻訳受容の一端
――『若夫婦に関するスケッチ』を中心に――
                    (3:50−4:30)
    発表 水野隆之 (早稲田大学)
    司会 閑田朋子 (日本大学)

休憩(4:30−4:40)

3. 『満仲』から『仲光』へ
  ――チェンバレンが異国で観たもうひとつの『アブラハムとイサク』
(4:40−5:20)
    発表 式町眞紀子 (法政大学)
    司会 永田喜文 (明星大学)

閉会挨拶
    英米文化学会理事長 大東俊一 (人間総合科学大学)
                    (5:20−)

臨時総会 (5:30−5:50)




研究発表抄録

1. アメリカ南部から北部へと移動する黒人における「場所の感覚」
                   田中 都 (城西国際大学大学院)

“ 黒人女性作家グロリア・ネイラー(Gloria Naylor, 1950-) の作品『ブリュースター・
プレイスの女たち』(The Women of Brewster Place, 1982)に登場する黒人女性の一人
マティ・マイケル(Mattie Michael)は若い頃、父親の暴力から抜け出したいとの強い思い
から、故郷を離れて南部の別の地へ住み、その後北部の都会に移住する。北部に着いた
とたんに南部の原風景をノスタルジックに思い出している。本発表では、そうしたマティ
の心的状況をゲーリー・スナイダー(Gary Snyder)らが提起したいわゆる「場
所の感覚」(Sense of place)の概念を用いてエコロジカルに論じる。「場所の感覚」とは自分と
場所との関係性を意識し、自分が誰でどこにいるのかを認識する感覚である。本発表では、
ネイラーの作品に限らず、トニ・モリスン(Toni Morrison)らの作品をも検討し、北部での
都会的な暮らしを送りながら、南部の自然(大地)を忘れることが出来ない心的状況を「場所の
感覚」から論じる。”

2. 明治期におけるディケンズ作品翻訳受容の一端
――『若夫婦に関するスケッチ』を中心に――
                 水野隆之 (早稲田大学)

“ 今回は明治期に訳されたチャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の『若夫婦に
関するスケッチ』(Sketches of Young Couples, 1840) についての調査結果を報告する。
加勢鶴太郎が抄訳し、『西洋夫婦事情』の題で1882年(明治15年)に出版されたこの作品
の翻訳がディケンズ作品の本邦初訳なのだが、明治時代のディケンズ作品の翻訳について
調査を進める過程で、『若夫婦に関するスケッチ』に収められた小話の翻訳がもう2点ある
ことが判明した。どちらも徳田秋聲が訳したものだが、これらの翻訳は現在に至るまで原作
を特定できていなかったものでもある。発表では以上についての調査結果を報告すると
ともに、徳田秋聲とディケンズの関わり、明治期のディケンズ評やディケンズ作品翻訳の
傾向などを手掛かりにして、なぜ徳田秋聲がこれらの小話を訳したのかについても考察する。"

3. 『満仲』から『仲光』へ
  ――チェンバレンが異国で観たもうひとつの『アブラハムとイサク』
                       式町眞紀子 (法政大学)

“ 1873年に来日したバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850-1935)
は、瓦解寸前だった当時の能楽界が再興に向けて動き始めた時期に居合わせ、たびたび能や
狂言を観ていた。その後、彼は『万葉集』や『古今和歌集』とともに、能『殺生石』『羽衣』
『邯鄲』『仲光』を英訳し、1880年にはThe Classical Poetry of Japaneseとして発表した。
 ところで、チェンバレンは、これら四曲の能を選んだ動機を明言していない。そこで今回は、
翻訳者は原文に忠実であるべきと主張するチェンバレンが、英訳の際、忠君ゆえに愛息を犠牲
にする仲光をあえてその題に据え、原題の『満仲』から『仲光』にしたことと、本文の注に、
「ヨハネによる福音書」第3章16節を連想すると吐露していることを手掛かりに、『仲光
(満仲)』選曲の動機を考察する。また、チェンバレンが直感したヨハネの言葉はキリストに
よる贖いを説くものだが、これに関しては、「創世記」におけるアブラハムのイサク献供が
その予型とされることと合わせて論じる。 "